2014年7月16日水曜日

キロクの断片のきおく 007

開館から8年後の新聞記事。

文化会館は美術作品の収集を積極的にはうたっておりませんでしたが、将来の県立美術館建設を視野に入れながら、細々とながら収集を続けていました。その「成果」を見せるための「第一回収蔵品展」が開催されて、こんな記事が出たようです。

フクニチ新聞 昭和47年6月8日

フクニチ新聞 昭和47年6月21日

8年間で29点。しかも青木繁や坂本繁二郎はない。県立美術館を建設しようというには確かに心許ないですが、上田宇三郎や岡田三郎助など、現在のコレクションの基礎がこうやって築かれていったと知ると感慨深くもあります。

しかも8年間で800万円。「たったそれだけ?」と当時の新聞は嘆いていますが、現在の購入予算は10年以上ゼロなのですから、うらやましいやら情けないやら。

ちなみに新聞で紹介されているのはこんな作品。どれも魅力的な作品です。(ただし岡田と藤島が正式に収蔵されたのは県立美術館が開館する2年前の1983年でした)

上田宇三郎「裸婦」1953年

岡田三郎助「婦人像」1909年

青柳暢夫「黍と女」1941年

藤田隆治「地脈の魚」1961年

藤島武二「山中湖畔の朝」1916年


2014年7月10日木曜日

オモイデおしえて 004 JNKさん

今回思い出を寄せてくださったJNKさんは30代の女性、福岡県大牟田市にお住まいの方です。うれしかった思い出やちょっと悲しかった(腹が立った?)思い出などを、ありのままに語ってくれました。


わたしのケンビデビューは、「ビュッフェ展」だったと思います。
図録買ってたことで思い出しました。
思い出して、手にとりぱらぱら開く。
太い線。暗い色調。
ケンビで、かつかつヒールを鳴らしたことで、怒られた事を思い出しました。
そんなに音出してない!という思いと、そんなに人いないし!という思い出。
ケンビの印象は、ゆーっくり見れるからいいなーと思ったし、いま思えば、かつかつの足音さえも、他の鑑賞者の事を思えばこその注意だったかと()

「安野光雅展」では、見ていくうちに引き込まれてるし、楽しい!と思って鑑賞したことを覚えています。

「糸の先へ展」では、物販ボランティアをさせていただき、ケンビスタッフの顔を知ることができたし、詳しい説明や作品に対する愛情を知ることができました。貴重な経験でした。

しかし、一番大きな思い出は、「江上茂雄展」です。
地元大牟田を描く路傍の画家江上さんを取り上げてくださった学芸員さんをはじめそれに関わった方々に多大な感謝を感じました。ケンビがなければ、埋没していたであろう作品たち。そこに縁を感じずにいられませんでした。私は江上さんの親戚でもなんでもありませんが、これは大牟田の遺産であり歴史であり、宝であると思いました。また、展示スペースも、全てがD.I.Yで、温かくじーっといつまでもみていたくなる空間でした。ありがとうございました。

そんなケンビを持つ福岡県民であることに誇りを持てます。
これからも、温かいケンビでい続けてください。


じつはJNKさんは、ぼくの友人でもあります。ここで語ってくれている「糸の先へ」を担当している時に知り合いました。そして去年の「江上茂雄展」でより仲良くなりました。

が、さらにおどろきの発見!

JNKさんのケンビデビューである「ビュッフェ展」が、なんとわたしの学芸員デビューの展覧会でした。ケンビ(と、思いがけずぼく)が、JNKさんの思い出や人生と隣り合って在ることがとてもうれしく、はげまされました。

JNKさん、いつも、ずっと、ありがとうございます。どうぞこれからもよろしく。

もしまた「ヒールかつかつ」を叱るスタッフがいたらぼくにおしえてくださいね~笑



福岡県文化会館/福岡県立美術館にまつわる思い出や記念写真を募集しています!


2014年7月2日水曜日

キロクの断片のきおく 006

新聞記事スクラップ、気付けば1か月以上の放置でした...。今回はちょっと変化球で須崎公園の話。

昭和40年6月29日 朝日新聞

福岡県文化会館/福岡県立美術館が建つここ須崎公園は、もともとは引揚げ者たちのために用意された市設住宅地でした。その人たちに立ち退いてもらって須崎公園ができたわけですが、それまでには、いつどこの世も変わらぬ立ち退き問題がありました。

ちなみに開館当初の写真を見れば、記事の中に出てくる那珂川沿いに建設中の市営団地も写っていますね。現在はこの市営団地もリニューアルに向けて工事中です。

しかしもともと125戸あったところに75戸分の団地を用意して移転を交渉するってのも、どうなんでしょうね。